投資を教えてくれた先輩が亡くなった。自分はどう生きるのか。

人生の楽しみ方

11月12日、私に投資を教えてくれた先輩が亡くなったと、はがきが届きました。

享年77歳でした。亡くなったのは6月となっており、半年が過ぎての連絡でした。

先輩は、顔が大きくて、笑ゥせぇるすまんの喪黒福蔵に似ていました。

先輩と言っても、35歳くらい年上で、私が血気盛んな20代の時に一緒に働き、くだらないダジャレで私を笑わせてくれました。

当時は、東京で勤務をしており、仕事帰りに先輩が私の手を引いて、強引に老舗のお寿司屋さんに連れて行ってくれました。

寿司を食べながら株のレクチャーを受けました。時間軸と株価の動きを矢印で書いて「ベクトルが大切だ」と教えてくれました。

当時はあんまり理解できませんでしたが、今でもよく分かりません。(理解力が乏しくてごめんなさい)

退職時に先輩が言ったセリフは「いつかホテルに招待してよ」です。

叶えることができませんでした。

連絡すれば良かった

年賀状を通じて毎年近況を連絡しており、定年後は博物館の説明員としてボランティア活動をしていました。

数年前に電話をかけたことがありましたが、呼び出し状態で声を聴くことができませんでした。

定期的に電話をして声を聴けば良かったと後悔しています。

先輩と言えども35歳も離れているので、もう一人のお父さんを失った気持ちです。

「親孝行したい時には親はなし」まさに言葉のとおりです。

職場のお父さんは失ってしまいましたが、両親はまだ生きているので親孝行することはまだできます。

自分もいつかは死ぬ。平均寿命まで生きれる保障はない。

先輩は77歳で亡くなりました。男性の平均寿命は80歳です。平均より3歳早く亡くなりました。

当たり前のことですが、平均より早く亡くなる方、また遅く亡くなる方がいて平均が計算されます。

自分が平均まで生きれる保障はありません。

私は新聞のお悔やみ欄で仕事の関係者がいないか毎日確認をしています。

自分が予想していた以上に60代で亡くなる方は多いです。もちろん100歳付近まで生きている方も多くいらっしゃいます。

60~100歳と幅が大きいです。

私がセミリタイアを目指す理由に「体力があるうちにたくさん遊びたいから」があります。

定年まで働いてからでは、体力も落ちていますし、美味しいものをたくさん食べることはできません。

若いうちにやりたいことを全部すれば、「今まで楽しいことをしたな。できることをやり切ったな」となります。

思い出は減らないので、思い出し笑いながら生活できます。

子どもと一緒に入れる時間は長くはありません。小学生の高学年になればお父さんを拒否する時期が来ると思います。

それまでに、子供との思い出をたくさん作りたいです。

だから私はセミリタイアをしたい・・・

先輩ありがとう。あなたの言葉は私の中で何度も繰り返されています。

「飴は上を向いて舐めるといいよ。アーメ(飴)ン」

「働くことは傍を楽にすること」(自分の周りの役に役に立つこと)

また声が聴きたいな。

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